| 翡翠に毒薬5 思い出すのはいつも、あいつの最後の言葉。 暗部に所属していた最後の数年間、俺は一人の女と行動を共にしていた。 名前は「茜」。その名の通り、真っ赤な髪をした女だった。 茜は特別美人というわけではないが、勝ち気な瞳が印象的で何処か人を惹き付けるところがあった。 初めて会ったのは俺が16、茜が22の時。その時俺はすでに暗部を4年経験していたベテランで、茜は入りたての新米だった。 「あんた何で暗部なんかにきたの」 今日からお前と組むことになった忍だと茜を紹介された時、俺は茜にそう聞いた。 その時の俺は、茜を出世の遅い忍だと馬鹿にしていたから、その言葉はかなりのからかいの意味を含んで聞こえたはずだ。 しかし、茜は怒ることはなく、やんわりと俺に返した。 「カカシくんはどうして?」 茜の持つ独特の雰囲気のせいか、『くん』づけされたことに意外にも腹は立たず、俺はぼそりと呟いた。 「意味なんかない…気がついたら暗部だった」 忍の世界は力だけが物を言う。自分の意志とは関係なく優秀な人間は暗部にならされていることが多い。勿論、望んでこの世界に入ってくる奴もいる。涙ぐましい努力をしてやっと念願の部署に配属されるのだ。俺は茜もそういう忍だと思っていた。けれど。 「そう…私もよ」 茜はふわりと笑った。気負いもなしに発せられたその言葉に忍としての誇りと自信がが感じ取られて俺は身のうちが震えるような感覚を覚えた。 『仲間』だ、と思った。 思った通り、茜は優秀で俺達はいつの間にか各国から恐れられる「二人組の忍」としてビンゴブックに載るようになっていた。 自然、任務はきつくなっていく。けれど俺達は、俺と茜はその任務を難なくこなしていった。俺達の間には確かな信頼関係が出来上がっていた。 俺の背中を預けられるのは茜しかいないと思っていた。茜もそう思っていただろう。 任務を頭にたたき込んだ後は、さしたる会話もなく実行に移す。目と目で合図をし、お互いの気配を感じながら闇を駆ける瞬間が俺にとって至福の時だった。 「茜はいつまで暗部にいるつもりなんだ?」 任務の道すがら茜に訊ねたことがある。正直、茜とのコンビを解消するのは辛かったが、覚悟はしておいた方がいい。年齢の問題もあるが、茜は女性だ。それに…。暗部に所属していることで精神的に不安定に陥る人間もいる。茜がそういうタイプの人間だと言うわけではないが、出来ればいつかはこんな世界のことは忘れて幸せな家庭を築いて貰いたい。茜自身、以前教師になりたいと洩らしたことがある。それはすぐに否定されたが、茜の本心だったように思う。 「カカシくんは優しいのね」 全てを見透かしたような笑顔だった。 茜は俺の目の前に来て、俺と目線を合わせて言った。 「でも、この世界にはカカシくんがいるから、私そんなに恐いと思ってないよ」 肩に置かれた茜の手が温かかった。茜の手が置かれているのは肩だけなのに胸が熱くなっていくのを不思議だと思った。子供の頃から暗部に所属し、感情の出し方を忘れていた俺は、その感覚が嬉しさだとは判らなかった。何故、自分が泣きそうになっているのかも。 思い出すのはいつも、茜の最後の言葉。 俺達二人ならどんな任務でもこなせる。そんな自信がどこか油断に繋がったのかもしれない。 いつものように目だけで会話を交わし、それぞれの持場へと闇を走る。 茜と別れてから数分もしないうちに、俺は数人の忍に囲まれていた。 待ち伏せをされていた。そう気がついた時、俺は囲んでいた忍に幻術をかけ、その場を離れ茜の元へと走った。皆殺しにしてやっても良かったが今は時間が惜しかった。 俺を待ち伏せしていた忍は殆どが雑魚だった。こいつらの目的は単なる俺の足止め。奴らの本当の目的は茜だ。二人組の戦力を潰すのにもっとも有効な手段はどちらか一方を消すこと。女性である茜が狙われるのは当然のことと言えた。 『カカシくんがいるから』 俺は走りながら茜の言葉を思い出していた。 『そんなに恐いと思ってないよ』 命をかけても守りたいと思った。 茜の持場へ駆け付けた時、彼女は既に敵と戦っていた。この時の俺は騙し討ちに合ったことで冷静さを欠いていた。そして何より目に入った、傷を負いボロボロになった茜の姿に俺は後先考えず飛び出していた。 「茜!」 茜も俺を見た。一瞬の油断。後頭部に鈍い痛みが走る。薄れていく意識の中で俺は茜のいた方を見た。茜も敵の手に捕らえられていた…。 意識を取り戻した時、俺は後ろ手に縛られ、膝がぎりぎりつく状態で天井から吊下げられていた。朦朧としてる頭の中に奴らの下卑た声が響く。 やっと気がついたようだな、クナイの感触が頬に当たる。面布の上から一気に引き裂かれた。 お前達二人に何人の仲間が殺られたと思う、男の声が上手く耳に入ってこない。どこか遠くで喋ってるように思えた。 殺すだけじゃ飽き足らない、お前達二人の忍としてのプライドをズタズタにしてやる。 男は話しながら俺の身体を何度も切り付けていった。 お前はあの女が余程大切らしい、これから起こることを良く見ておけ、目を逸らしたら女の命はない。 その言葉に意識が覚醒する。薄暗い室内を目を凝らして見た。 中央に裸の女がいる。何人もの男に体を弄られ、必死になって声を抑えている苦痛に歪んだ顔。茜だった。 俺は怒りで目の前が真っ赤になるのを感じた。きつく噛みしめた唇が切れて血の味がする。 「口惜しいか、惚れた女一人守れない自分が」 挑発に乗るな、冷静になれ、絶対に生きて帰ってやる。こいつらを許さない。 事が終わればこいつらにも油断が生じる。その隙を見逃さない。 俺は茜を見ていた。これから起こることを全て受け入れるつもりだった。何があっても茜に対する気持ちは変わらない。俺が初めて心を許せたたった一人の『仲間』だと。俺達は信頼しあっていた。俺と茜の気持ちは同じものだと思っていた。 だから気がつかなかったのだ。茜のそれが『恋心』だということに。いや、俺の感情もそうだったのかもしれない。でも俺には判らなかった。そして気付かなかった。 茜は惚れた男の前で痴態を演じることに耐えられなかったのだ。 始めは声を抑えていた茜が何人目かの時に様子が変わった。 押し入ってきた男に、思わずといった感じで声が漏れる。 茜は唇を噛みしめ、俺に涙に濡れた顔を向けた。 「カカシくん、お願い…見ないで」 その言葉に俺は弾かれたように目を逸らした。だが次の瞬間先ほどの男の言葉を思い出す。 目を逸らしたら女の命はない。 次に茜に目を向けた時、茜の胸にはクナイが突き刺さっていた。 何処にその力が残っていたのか判らないが、俺は腕を縛っていた縄を力任せに引きちぎった。拍子に腕が折れたようだったが、気にしてはいられない。俺は部屋に散らばっていた武器を拾い、男達を次々と殺していった。 数分後、部屋が血の海になった。散らばった肉片とむせ返るような血の匂いの中、俺は肩で息をしながら、茜の元へゆっくりと歩いていった。 茜の上に跨がっていた男の死体を勢いよく蹴り上げる。 精液と血にまみれた体が露になる。俺は不思議と美しいと感じた。 茜はまだ息があるようだった。うっすらと目を開けて、俺の姿を認めると、何か言いたげに唇を動かす。もう声は出せないようで、俺は必死になって茜の言葉を読み取ろうとした。 あ・り・が・と・う 茜の唇は確かにそう動いた。俺はその意味を理解しようとした。けれど、後から後から溢れてくる涙に思考力が奪われていく。俺は忍になってから恐らく初めて声を上げて泣いた。 茜の体が冷たくなった頃、俺は全ての死体の始末をするため部屋中に灯油をまいた。火種を部屋の一角にほうり投げる。火が回り始めたのを目の端に止めながら俺はもう一度茜の元へいった。 このまま、ここで茜と死ねたら幸せだろうな。 ぼんやりとそう思いながら。それでも俺は生きるためにその場を離れる。 俺は面布を下げ、茜の冷たい唇にそっと口付けた。 最初で最後の口付けだった。 里に戻った俺は全ての報告を終えた後、暗部から教師への転職を希望した。 俺の力を惜しむ幹部に説得されたが、火影さまの一言でそれは受理された。 「良い忍を育ててくれ」 火影さまは知っていたのかもしれない。茜が教師になりたがっていたことを。 「仲間を思いやれない奴は忍者失格だ」 あれから何年か経った。何人ものアカデミー卒業生を見てきたが、才能はあっても本質が見えていない。いくら個人技能が優れていても『仲間』というものの大切さを本能でかぎとっていなければ、任務をこなしていくのは難しい。 自戒の意味も込めて、俺はことさら厳しく下忍へなるための最終試験を行った。 その三人は今までの生徒達の中で一番と言っていいほど、まとまりがなかった。アカデミーを最低の成績で卒業してきた落ちこぼれ。実力は飛び抜けているが他人を全く信用していないエリート。中でも女の子は全くダメだと思った。憧れを抱いている男の子と同じ班になれたことで舞い上がり、もう一人の男の子には目もくれないどころか平気で冷たいことを言い放つ。三人一組の意味を全く理解していない。こいつらもいつものようにアカデミーに逆戻りだと思った。 だが、鈴取りの演習中、もう一人の男の子に危険を知らせるため女の子は自分の位置が俺に知られるのを顧みず繁みから顔を出し大声で叫んだ。それは多分無意識の行動だったのだろう。通常ならば無謀な後先を考えない行為だと戒められるものだったろうが、忍としての本質を見極めるための試験の最中のその行為は大事なことのように思えた。 この子は頭ではなく本能で大切なことが判っている。 実力は他の二人には遠く及ばない。判断力も決断力も弱い。けれど、それらは後からいくらでも付けることが出来る。 九尾の狐を封印されたナルト、エリートうちは一族の生き残りのサスケ、そしてサクラ。 この三人を育ててみたいと思った。 俺の全てをかけて、立派な忍にしてやるつもりだった。 けれど、あの時。 生徒としてしか見ていなかったサクラが俺の問い掛けに答えて言った言葉。 「その世界には先生もいるんでしょう?」 「じゃあ、そんなに恐くない」 それは余りにも茜の言葉に似ていて、茜を失った時の恐怖が甦る。と同時に背中に当たる小さな温もりが俺を安堵させた。 その存在はとても小さくて、温かくて、両手で抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。 突然わき起こってきた愛しさに自分でもどうしていいのか判らなくなった。 気がついたらサクラを自宅へ連れていってた。 大丈夫だよ。お前を傷つけたりしない。ただ確かめたいんだ。 お前が俺にとってどういう存在なのか。 お前の足が治るまでの数ヵ月間でいい。ただ一緒にいてその存在を感じ取らせて欲しい。 足が治れば全て元通りになるから。だから…。 側にいて、サクラ。 |