|
――ベッドの軋みがひどく耳障りだった。 「……うっ…」 若島津は硬い枕に顔を押し付け、湿った息を布地に染み込ませた。 「…っああ――…」 「オイ…声――」 耳元で若林が舌打ち混じりに、思わず漏れ出た高い響きを嗜める。 「――わかってる…そっちこそ、ベッドがうるせぇ……」 宿舎の簡素な寝台は、二人分の重さにたわみそうに揺れていた。 おまえが重いからだと悪態を吐かれ、若林は後ろから身体を繋げたまま若島津を床に引き摺り下ろした。 「くっ!――んぅ」 急激な動きに鋭い呻きを発した口を若林の手が塞ぐ。 冷たい床が二人の体温に、次第に温もっていった―― * 「若島津、今のは止めれたはずだぞ!」ユース合宿での紅白戦。 敵陣FWを堅い守りで阻み、無理な体勢で打たせたシュートをパンチングで弾いた若島津に、ディフェンスラインを仕切る三杉が激をとばす。 ボールはコーナーに逃れたものの、普段の若島津なら取れないシュートではない。 「分かってる」 若島津は苦い顔で顎をつたう汗を拭った。 練習後。三杉の部屋に呼ばれた若島津は、呼び出しの理由に思い当たるふしがあるだけに、不機嫌な面持で壁に寄り掛かっていた。 「どこか具合でも悪いのかい。最近、自主管理が全く出来ていないようだね」 予想通りの三杉の指摘に、若島津は用意してきた殊勝な台詞を返す。 「少し調子が出ないだけだ、たいした事はない。今後気を付けるよ、悪かったな心配掛けて」 話はそれだけだなと、早々に立ち去ろうとする若島津を三杉の冷めた言葉が引き止める。 「そういう事は自分達の行動に、責任を取れてから言ってもらいたいね」 “達”と言い切る三杉に、若島津は驚愕を消しそこない息を呑んだ。 「なんだ、案外ガードが弱いんだね。カマを掛けてみたんだが、こうあっさりとボロを出されては追求し甲斐もないよ」 若島津は言い紛らそうとはせず、無言で表情を険しくした。 「ああ、安心したまえ。気が付いているのはボクだけだ、多分ね。もっとも、よくそんなみっともない顔を見せられたものだと思うけどね」 目の下に薄っすらと残る疲労の影に視線を当て、嘲るように溜息を吐く。 「…お見立て畏れ入ったよ。さすが医者の卵ってか?」 対抗するかの笑みをのせ、口角を片方だけ吊り上げてみせた。 「で?だったらどうだというんだ」 「取りあえず相手を訊いておこうか。日向か?――いや、違うね」 勿体付ける素振りに若島津は自ら先に答える。 「若林だよ」 「やはりね」 今回の合宿で若林と若島津は同室で、二人とも態度こそ今までとなんら変わらなかったが、それと疑って見ればすぐに察しは付いた。 「驚かないんだな」 「意外な取り合わせではあるけど、そもそも理解し難い焦点はそれ以前だよ」 “理解し難い”という言葉ほどには不審な表情も覗かせず、軽く首を傾ける。 「無論、同意しての事なんだろう?仮にも段持ちのきみが、理不尽な行為を大人しく受け入れるとは思えないからね」 「当然だろ。お互いただの遊びだ」 “遊び”と答える若島津を含みを込めた目でじっと窺う。 「それはどうかな?単なる遊びなら、なにも周囲に憚る合宿中や練習に影響するほどのリスクを背負う必要はないはずだ」 「何が言いたい?」 我知らず激しく胸が鳴り、若島津はそれを打ち消すかにひときわきつく睨み返した。 「ボクも野暮は言いたくないが、チームの迷惑になる事態は見過ごせなくてね」 三杉は少しも怯まず、落ち着き払った中にも有無を言わさない口調を突き付ける。 「ともかく、体調が戻るまできみにはボクの管理下にいてもらうよ」 「勝手にしろ」 言い返す材料もなく、若島津は投げやりに吐き捨てた。 * 「――そういう事だから、しばらく若島津はボクの部屋で預かる。あ、他の皆には少し体調不良で何かあった時の用心の為、とでも言っておくよ。きみもそのつもりでいてくれ」消灯前になっても部屋に戻らない若島津の替わりに、若林を訪ねて来た三杉は事務的に用件を伝えた。 「ただし不調なのは事実だ。それは分かっているだろう?」 「…ああ」 「きみにしては随分と迂闊な事だね」 大切な合宿中に同じポジションを争う者同志、確かに軽はずみとしか言いようもない。 「よもや勝負を軽んじているとは思わないが。弁明があるなら聞くよ」 「いいや。悪いのは全てオレだ」 「さすがに潔いね。と誉めたいところだが、非があるのは若島津も同じだろう。彼はお互い合意の上での遊びと言ったのだからね」 「あいつはそのつもりでも、オレは本気だ」 若林の真剣な顔からは、三杉の非難だけでなく全てのものから若島津を守ろうとする、深い思いが窺い取れた。 若林は初めから本気で若島津を求めていた。 けれど本心を伝える事など出来ない。 ずっと若島津は日向一人のものだと思っていた。 しかし若島津は、若林の遊びを装った誘いをすんなりと受け入れたのだ。 なぜ応じたのか若島津が何を考えているのか、若林には今でも分からなかった。 「なるほど。そういう事か」 若林の真意を理解しながら、なおも三杉は冷徹とも思える態度を移ろわせもしなかった。 「だがそれならそれで、若島津に言う気はないのかい」 「あいつは律儀だからな。オレの気持を知れば、自分が不誠実なままで関係は続けられないと言うだろう。それに、オレに同情でもして気に病ませたくはない。――いや、“冗談じゃない”と怒るだけかもな」 「つまりは自分を偽ってでも、このままでいたいと?勝手なものだね」 「勝手は端から承知だ。あいつに負担を掛けていると分かっていても、オレは自分を抑えられない…」 若林はわずかに声を詰まらせ、眉に苦悩を滲ませた。 「気持は察しておこう。しかしこの際、きみの心情は問題ではないよ。それに彼の場合身体への負担より、精神的な面が体調に影響しているようだ」 心当たりを問われ、苦笑いと共に首を振る。 「そろそろオレとの関係も煩わしくなったんだろう。いい潮時かもな」 「心にもない事を言わないでくれたまえ!それとも責任放棄かい?」 三杉は若林を見据え口調を強めた。 だがそこには微かに叱咤激励するような響きがあった。 「三杉…?」 「よく分かったよ。やはり問題は若島津のようだね」 「え?」 「いや。ともかく若島津はボクに任せてもらうよ、いいね」 再び冷たい声音で言い置き、三杉は部屋を後にした。 * 隣のベッドで何度も寝返りを打つ若島津の気配に、三杉は枕元の灯りを点した。「眠れないのかい?」 答えぬまま、若島津は眩しげに額の上に手を翳す。 「ボクがいつも使っている薬がある。飲むといい」 「要らない」 「体調管理はボクに一任すると誓ったはずだ。睡眠不足では明日の練習に差し障る」 差し出した薬をしぶしぶ飲み下すのを見届け、三杉はフッと癇に障る嗤いを向けた。 「まさか一人寝出来なくなった訳でもないんだろう。いいや、疼いているのは身体のほうではないね」 若島津はスタンドの鈍い光越しに、脇に立つ三杉を眇め見た。 「一体何が聞きたいんだ。持って回った言い回しは止めろ」 「きみに自発性を促している心遣いが分からないかな。なら単刀直入に言わせてもらうが、なぜ自分の気持を素直に認めないんだい」 「なんの話だ」 「本当は遊びなんかじゃなく、若林の事を想っている。そうだろう?」 壁に映る影が大きく揺らぎ、若島津は軽快に腹を抱えた。 「何を勘ぐっているかと思えば、ばかばかしい」 「どうあっても認めたくないんだね。きみの不調の原因はそれだよ、打ち明ければ楽になれるんじゃないのかい」 「いい加減にしろ!おまえには関係な――…!?」 つい怒りを面に覗かせ、立ち上がり掛けた身体は主の意思に従わず、崩れるように元のベッドの上に横倒しになった。 「……え?…」 身体を起こそうとして適わず、若島津はだんだんと麻痺してゆく手足の感覚を認識した。 凍り付く四肢とは裏腹に身体の芯は脈打つごとに熱を増し、意識まで霞を帯び始める。 若島津は苦しげに息を早めた。 「な…に?まさか、さっきの――」 「ボクは睡眠薬だとは言っていないよ。体力が落ちているきみには効果覿面みたいだね」 三杉は若島津の腕を捕らえ、仰向けに押さえ付ける。 「三杉――!やめっ…はなせ――」 「これは治療だよ」 「――はっ…!」 真上から落ちてきた唇に逃れようと反らせた喉元を軽く吸われ、身体が勝手に跳ね上がった。 肌を這う若林とは違う温度の手に、がくがくと背筋が震える。 「…っ…や…ぁ」 「どうしてだい?遊びなら誰でも構わないだろ」 「――!」 ――違う。 初めは確かに遊びのつもりだった。 だが例えそうでも、仮に若林でなければ誘いに乗っただろうか。 誰でもいい訳じゃない。 「…あ……―――…」 若島津は声にならない吐息の振動でその名呼んだ。 「それでいいんだよ。やっと分かったかい」 優しく囁いて、三杉は身体を離した。 「…三杉?」 「すまなかったね。ボクはただメンバー皆に、ベストな状態でいてもらいたいと願っているだけだよ。――だから、素直になれるね?」 「――でも」 若林は遊びだからこそ誘ったのだ。 今更本心など伝えられるはずがなかった。 「彼だって誰でも良かったと思うかい。きみと同じだよ」 三杉は水を一口含み、おもむろに唇を重ねた。 「んっ――」 温い水と一緒に小さな塊が喉の奥に流し込まれる。 「大丈夫、今度こそただの導入剤だ。ゆっくりと眠りたまえ」 若島津は閉じ掛けた瞼の下で、虚ろな瞳を頼りなくさ迷わせた。 「…三杉……、若林に――」 「ああ、目が覚めたら彼がここにいるよ。安心しておやすみ」 眠りに就いた若島津に、三杉はそっと微笑み掛けた。 <了?>
* * 「本日も一件治療完了。お次は…」三杉はお手製の分厚いカルテをパラパラとめくった。 「ふむ、“松山と貸し借りがなくなってちょっぴり寂しい日向”か。さて、どう因縁を生じさせようか。いっそ押し倒させてでもやろうかな?――フッフッフッ……♪」 ただひたすらにメンバーの健康と平穏を願い、マッドドクター三杉の治療は続くのだった。 <了;>
|
“GとKの間”を意識してみました。 H のあとに I があるv J はすなわち、「JUN MISUGI」!(笑)
| 展示室へ戻る/TOPへ戻る |